令和時代のセクハラ基準
<昭和感覚ではセクハラを自覚できない>
最近では、企業よりも地方自治体でのセクハラが多く報道されるようになっています。
加害者は、公人という立場にあり、報道機関のインタビューに答えたり、記者会見を行ったりするので、その思考や認識が把握しやすいといえます。
セクハラを指摘された当初は、「セクハラに該たらない」「そのようなつもりではなかった」など自信あり気なのですが、やがてトーンダウンし、「自分の行為がセクハラに該当することが分かった」と言ってお詫びしたり、理由をすり替えて辞任したりという結末を迎えます。
最初のうちは、自分の昭和感覚で考えていたのが、周囲の意見や調べたことを参考にして、考えが変わっていくようです。
<ハラスメントはその時代の社会通念によって認定基準が変わる>
ハラスメントは、社会通念を基準に認定されるものです。
その証拠に、世間一般の認識の変化に応じて、法令・通達・ガイドラインの作成・変更が行われてきています。
マスコミから言われて、家族・友人から言われて、自分の行為がセクハラだったと気づくのは、セクハラの基準が変わったと認識できたからでしょう。
セクハラの認定基準は、行為の範囲、対象者の範囲、基準の客観化の3点で大きく変わってきています。
<セクハラ行為の範囲>
昭和時代には、美容院に行ったことや、化粧を変えたことを指摘しても、これがセクハラと認識されることはまずなかったでしょう。
ところが今では、普段から顔をジロジロ見ているのではないか、セクハラではないかと疑われることがあります。
服装全体やファッション感覚についての話であっても、問われたことに答えたのではなく、自分から進んで話したのであれば、特に女性の胸元だけを見ていたのではなくても、セクハラを疑われる余計な話となってしまいます。
たとえ靴下についての話であっても、いつも足首を見ていたのかと疑われかねないのです。
また、性的な言葉をストレートに使っていなくても、性的なことを連想させる言葉、聞く人によっては連想してしまう言葉も、セクハラ発言とされます。
このように昭和時代には、直接的でどう考えてもセクハラ行為と判断される言動だけが、セクハラとして非難されていたのに対し、令和時代ではセクハラが疑われ不快に思われる行為が問題視されています。
セクハラと認定される言動の範囲が、大幅に拡大されているということです。
<セクハラ対象者の範囲>
昭和時代には、セクハラ行為といえば、男性から女性に向けられたものに限られていました。
ところが平成時代に入ると、女性から男性に向けられた言動にも、セクハラ行為に該当するものがあると認識されるようになりました。
さらには、同性間のセクハラも問題視されるようになりました。
男性のみが集まっている場所で、男同士だからという気安さから、猥談などしてしまうと、これをセクハラとして強い不快感を示す人が増えてきました。
今では、LGBTQ+への配慮やSOGIハラの問題が認識されるようになったことから、セクハラは性別に関係なく成立するハラスメントだと認識されるようになっています。
このように、令和時代ではセクハラの対象者が限定されることなく、誰から誰に対しても成立しうると認識されるようになっています。
<セクハラ認定基準の客観化>
昭和時代には、相手が嫌がっているのに性的な言動をやめないと、セクハラとして問題視されることがあるに留まっていました。
「セクハラの問題はむずかしい。相手がどう思うかによって、結論が変わってしまう」などと言われていました。
しかし今では、対価型セクハラと環境型セクハラのいずれでも、直接の被害者だけでなく、周囲の人、間接的に聞いただけの人も、被害者となりうると認識されています。
こうした人たちも、恐怖心から仕事に集中できなくなったり、出勤するのが辛くなったり、あるいはセクハラ行為を受けても拒否的な態度を示したら、不利益を被るのではないかと不安になるからです。
このように、令和時代では直接の相手が嫌がっていなくても、客観的に見てセクハラだと認定される行為は否定されるのです。
2024年7月5日
社会保険労務士 柳田 恵一
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