就業規則に判例を盛り込む効果
<就業規則に従ったのに起こるトラブル>
管理職ともなれば、社内で判断に迷う事例が発生した場合には、就業規則の規定を確認する癖がついているでしょう。
ところが、就業規則の規定に従って対応したにもかかわらず、トラブルとなってしまうことがあります。
たとえば、懲戒について想定されるトラブルとしては、次のようなものがあります。
- 就業規則が、法令や労働協約に反しているため、その規定は無効となり、違反した社員を懲戒できない。
- 就業規則が、違反した労働者に周知されていないため、就業規則の効力が認められず懲戒できない。
- 就業規則に、具体的な事実に対応する懲戒規定がないため懲戒できない。
- 就業規則の中の、懲戒事由や懲戒処分の種類・内容についての規定が、明確とはいえないため、対象社員から懲戒処分が不当であると主張されてしまう。
- 就業規則に定められた懲戒が相当でないため、対象社員から懲戒処分が過剰であると主張されてしまう。
- 就業規則に定められた懲戒手続が適正ではないため、対象社員から懲戒処分が無効であると主張されてしまう。
これらのトラブルを防止するには、就業規則の作成・変更・運用において、法令や労働協約に適合し、労働者の意見を反映し、周知・届出を行い、懲戒の規定や手続を明確にしておくことが必要です。
<常識に従った判断の危険性>
しかし、就業規則にすべてを規定しておくことはできません。どうしても、就業規則の規定を確認した人の、主観的な判断が介入してしまいます。
このときの主観的な判断としては、その人の「常識」に従うというのが一般的です。この常識による判断にはリスクが伴います。一般的に受け入れられている考えや判断が、実際には誤っていたり、不適切だったりする場合に生じるリスクです。
このような常識による判断の危険性を回避するためには、自分の知識や経験に頼らず、客観的なデータや情報に基づいて判断することが重要です。また、常識という語は、社会や文化、時代によって変化する相対的なものであることを認識することも必要です。
<社会通念上相当>
たとえば懲戒について、労働契約法第15条は社会通念上相当であると認められない場合は無効だとしています。
社会通念上相当とは、社会一般に通用している常識や見解に基づいて、ふさわしいと判断されることを意味します。ですから、就業規則の規定を見た人の個人的な常識とは食い違っている可能性もあるということです。
<客観的に合理的な理由>
労働契約法第15条は、懲戒について、客観的に合理的な理由を欠いている場合も無効だとしています。
客観的に合理的な理由とは、たとえば誰もが「解雇するのが妥当」と納得できる正当な理由がなければ、労働者を解雇できないことを意味しています。
解雇については、労働者の能力不足、成績不良、勤務態度不良、職場規律違反、職務懈怠などが客観的に合理的な理由として考えられます。しかし、これらの場合でも、教育訓練や部署の異動などの解雇回避の努力がされたか、解雇の基準や運用が客観的で公正か、労働者に対して解雇の必要性や理由が十分に説明されていたかなど、さまざまな事情が考慮されて、解雇が正当かどうか、最終的には裁判所において判断されます。
<権利濫用法理>
さらに、労働契約法第15条は、懲戒について、客観的に合理的な理由を欠いているか、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したことになるから無効なのだとしています。これは、権利濫用法理のあらわれです。
権利濫用法理とは、形式的には権利の範囲内として認められる行為を、社会通念上許容できない方法ですることは無効となるという理論です。
権利濫用法理は、民法第1条第3項に「権利の濫用は、これを許さない」という基本原則として定められていますが、具体的な適用基準や効果は明記されていません。そのため、権利濫用法理の適用は、裁判では、個別具体的な事情に応じて裁判官の裁量によって判断されます。
<恣意的な判断を排除する就業規則>
結局のところ、就業規則の規定の意味内容や適用範囲などは、訴訟となれば裁判所の判断に従うことになります。
そうであれば、最初から裁判所の判断である判例の内容を就業規則に盛り込んでおけば、その規定については、解釈の誤りによるトラブルの発生が防止できることになります。
こうした就業規則であれば、使用者の裁量によらず、客観的で公正な基準に基づき、一貫性と透明性をもって解釈・適用できるようになります。
たとえば、従業員が休日に居酒屋で飲食し、酔った勢いで「ここの酒はまずい」と叫んで、店から追い出されたという事実が会社に伝わったとします。そして、この従業員の行為が、懲戒の対象となるかについて検討したとします。
就業規則に「職務の遂行に関係のない職場外の行為であっても、会社の円滑な運営に支障をきたすおそれがある場合や、会社の社会的評価に重大な悪影響を与えるような場合には、その行為を理由に懲戒処分を行うことがある」という規定があれば、この従業員の行為は、決して好ましくないものであったとしても、懲戒の対象とはならないという判断がつきやすいでしょう。
<就業規則の強化を迫られる時代>
今や令和時代です。労働法の改正や働き方の多様化に対応するために、企業が就業規則を見直し、適切な労働条件や待遇を定める必要がある時代です。
働き方改革により、労働法には様々な改正が行われており、企業は法令遵守や経営リスクの回避のために、就業規則の内容を定期的に確認し、必要に応じて変更することが求められています。
また、テレワークやジョブ型人事など、新しい働き方が広がる中でも、従業員のモチベーションや生産性を高めるために、就業規則を見直すことが重要です。
就業規則の見直しには、無期転換ルールやハラスメント防止、長時間労働の上限規制、同一労働同一賃金など、さまざまなポイントがあります。そして、こうしたポイントについて、従業員の知識も豊富になってきています。
手間がかかることは確かですが、社内トラブルを防止できる強い就業規則を目指してはいかがでしょうか。
2024年3月1日
社会保険労務士 柳田 恵一
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