ジェネレーションギャップに起因する労働紛争
<セクハラのギャップ>
昭和の感覚では、男性が女性の前で性的な話をすることや、男性の女性に対する軽いボディータッチは、職場の潤滑油であり必要なコミュニケーションの一種でした。
行き過ぎた言動は問題視されるのですが、いつも加害者が男性で、被害者が女性でした。
男性が被害者となって交番に駆け込んでも相手にされませんでしたし、同性間でのセクハラなど想定外でした。
令和の感覚では、顔や身体をジロジロ見ることは、異性間だけでなく、同性間でもセクハラとなります。
性的なことを連想させる言葉を使ったり、性的な意味を持ちうる動作を行ったりすれば、敏感にセクハラであると感じ取ります。
会社には、セクハラ防止義務がありますので、こうしたジェネレーションギャップの存在を前提としつつ、セクハラの定義を明確にして、具体的に何がセクハラに該当し、何がセクハラに該当しないのか、基準の設定と周知に努める必要があります。
<パワハラのギャップ>
昭和の感覚では、上司が部下の指導にあたって怒鳴ったり、多少の暴力を振るったりは、親身になって指導していることの顕れであり、必ずしも否定されてはいませんでした。
こうした上司の態度に対して、部下は感謝すべきであり、心を病んだり欠勤したりというのは、その部下が弱いからだと評価されました。
令和の感覚では、書類の書き直しを命じられたり、人事考課で悪い評価を付けられたりと、不愉快に感じることをされれば、そうしたことの殆どがパワハラだと感じ取ります。
会社には、パワハラ防止義務がありますので、こうしたジェネレーションギャップの存在を前提としつつ、パワハラの定義を明確にして、具体的に何がパワハラに該当し、何がパワハラに該当しないのか、基準の設定と周知に努める必要があります。
<働く意味のギャップ>
昭和の感覚では、男が家族を養うために働くのは当然であり、妻がパートに出ることを許すのは男の恥だとされることもありました。
会社から給料をもらっている以上、会社の方針や上司の指示に従って熱心に働くのは当然のことだと考えていました。
「滅私奉公」という言葉のように、家庭など私生活を犠牲にして、会社のために仕事をするという感覚です。
令和の感覚では、給料分働けば十分と考えます。
お金のために家族やプライベートを犠牲にして、やりたくない仕事まですることは望みません。
自分の成長が期待できない会社、自分の将来が見えない会社には、長くいたいと思いません。
会社は、ひとり一人のキャリアアップを計画化して道筋を示し、これに沿って成長できるよう社員教育に努めなければなりません。
これを怠れば、多くの社員が転職していきます。
<喫煙マナーを見ても>
平成12(2000)年に東京都千代田区で、路上禁煙地区での喫煙やポイ捨てが、条例により罰則付きで禁止されるようになりました。
これまでは、殆どどこでも自由に喫煙できていたのです。
20年後の令和2(2020)年4月には健康増進法が改正され、多くの屋内施設で原則禁煙となり、違反には30万円の罰金が科せられうるようになりました。
こうして、愛煙家は喫煙場所の確保に苦労するようになったのです。
今では、コンビニの隣での喫煙や歩行喫煙に対する視線が冷たいものになっています。
これだけ喫煙マナーの変化が急速でしたから、殆どどこでも自由に喫煙できていた時代を知らない若者が、喫煙所の外で喫煙する人の人格を疑ってしまうのも無理はありません。
これは、ジェネレーションギャップを示す好例だと思います。
<実務の視点から>
会社の中で、それぞれの世代を反映した「常識」を元に、自分の倫理観を振りかざすのは危険です。
「常識」と「常識」とが対立し、深刻な労働紛争に発展する恐れさえあります。
ジェネレーションギャップがあるのなら、世代を超えた対話を行い、意思統一して共通ルールを設定し遵守しなければなりません。
こうしたことも、会社にとって必要な職場環境改善の一つだといえます。
2023年1月27日
社会保険労務士 柳田 恵一